ネットギャラリー両界堂 1-8 聖徳太子と日蓮
[ 作品 1-8 ]

聖徳太子と日蓮

聖徳太子(574~622)は推古天皇の摂政になった593年に四天王寺を創建した。
594年「三宝興隆の詔(みことのり)」を発布して、仏法僧を尊んで、仏教による国家づくりを進めた。
604年には「十七条憲法」をつくり、仏教をさらに政治に生かした。

聖徳太子は595年に高句麗から慧慈、百済から慧聡という僧を招き、仏教を本格的に学んだ。
605年に斑鳩宮ができたときに夢殿で瞑想にふけったという。
後に、『法華経』『維摩経』『勝鬘経』を講義して、『三経義疏』という注釈書を著している。

日蓮(12221282)は最澄が開いた比叡山で修行をしたときに、聖徳太子と最澄が重視した『法華経』に出会い、
『法華経』こそが末法の世を救い、国家社会に安泰をもたらし、万人を救済するという結論を得た。

日蓮は聖徳太子の廟がある磯長山叡福寺に7日間参籠したことがあるようで、同寺には記念塔が建てられている。

日蓮は1252年に故郷の清澄寺に戻り、翌年同寺の山の頂から太平洋から登る朝日に向かい、「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えた。
このとき、日蓮宗が開かれ、日蓮と名を改めている。

「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えれば救われるとして、日蓮が『法華経』を庶民に広めた功績は大きい。

日蓮は鎌倉時代の当時の社会状況や仏教に危機感をもっていたため、『法華経』のみが優れた教義であるとして、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」などと鋭い他宗批判をした。

当時、臨済宗の禅を学び重視していた鎌倉幕府に『立正安国論』を提出し、『法華経』を国教にするようせまったが、受け入れらねなかった。

日蓮は念仏の信者から草庵を焼かれたり、幕府に捕らえられ伊豆や佐渡に流されるなど、批判され続けた。

現世「この世」での救済を説いた日蓮が『法華経』を広めた功績は大きいが、聖徳太子の「和の精神(Wa Spirits)を残念ながら受け継がなかった。

「この世」と「あの世」を重視した釈迦、あるいは聖徳太子の境地に、日蓮は達していただろうか?
残念ながら、日蓮は「この世」に強い関心をもち、「あの世」についての関心は弱かったように思われる。

釈迦と聖徳太子は、「この世」だけではなく、「あの世」を貫く真理、「空(くう)」あるいは「仏」を悟ったといえる。

2022年には日蓮の生誕800年になり、関係する寺院や組織などでは法要やイベントが行われた。
日蓮の『法華経』を重視する姿勢は日蓮宗にかぎらず、日本の新宗教や新新宗教の団体にも多く受け継がれて、「この世」をよくしようとしていることは貴重である。

しかし、『法華経』を信じているのは自分たちだけだと誤解している人が多いのは残念である。
禅宗や天台宗、密教関係者など、『法華経』を重視している人は多数いるのである。

これから日蓮宗関係者の中から、聖徳太子の「和の精神(WaSpirits)」も継いで、国際的な活躍をして、人類、ホモサピエンスの進化に貢献する人間が現われることが期待される。

 

講談社で電子書籍化されました。
『マンガ 誰にもわかる 人間アインシュタインと相対性理論』 山本キクオ―=画、千崎研司=作、渡辺正雄=監修
『マンガ ニュートン万有引力入門』 石田おさむ=画、千崎研司=作、渡辺正雄=監修
『マンガ ユング深層心理学入門』石田おさむ
『マンガ フロイトの「心の神秘」入門』 石田おさむ=画、細山敏之=作、福島章=監修
『マンガ ダーウィン進化論入門』 瀬口のりお=画、田中裕=作、渡辺正雄=監修

TOP