釈迦の悟りから始める「空(=エネルギー)瞑想法」

誰でもが簡単にできる「瞑想・坐禅革命」がスタートしました!

釈迦は瞑想で「空=エネルギー」を悟った!!

釈迦(紀元前463年頃~紀元前383年頃)は35歳のときに瞑想をして悟り、ブッタになったといわれるが、何を悟ったのかはわかっていない。
悟りの内容を明確にズバリ正しく書いた経典や解説書がないからである。

釈迦は29歳で出家したときに2人の導師について瞑想をしたが、途中でやめて断食などの苦行をした。
35歳のときに再び瞑想をして悟ったのである。

釈迦の言葉をまとめた最も古い経典である『ダンマパダ(法句経)』では、「止と観の2つの瞑想によって彼岸に渡れた智者は、すべての束縛が消えるであろう」(384)とある。

また『スッタニパータ』では、釈迦は「つねによく気をつけ、自己に固執する見解を打ち破って、世界を空(くう)なりと観ぜよ。そうすれば死をわたることができるであろう。このように世界を観ぜる人を死王は見ることができない」(1119)といったという。

「止の瞑想」とは特定の対象に意識を止める、あるいは思考を止めて無になる瞑想といえる。
「観の瞑想」は対象を観る、あるいは真理を観る瞑想である。

釈迦は「観の瞑想」で「世界が空(くう)である」ことを悟ったと思われる。
この「空(くう)」を釈迦は説明していない。
悟った内容を人々が理解するのは難しいのではと思い話さなかったという。

しかし、釈迦は人々に瞑想をすることを薦めている。
瞑想をして自ら悟って体感してほしいと願っていたからであろう。

釈迦が悟った「空」は300年~350年頃につくられた『般若心経』の中の有名な「色即是空(しきそくぜくう) 空即是色(くうそくぜしき)」の句に結実したように思われる。

「色(しき)」は物質や身体など形あるものである。
それが「空(くう)」であるというのである。
また、その「空」が物質や身体の形ある「色」になるのである。
この「空」は無ではない。

しかし「実体のないものである」などという解釈がほとんどで、釈迦の弟子や仏教者、仏教学者でも現在にいたるまで「空」を正しく解釈できて体験できた人がほとんどいなかったのである。

1905年に特殊相対性理論を発表したアインシュタイン(1879~1955)は、E=mc2 という法則も明らかにした。
E はエネルギー、mは質量、mc2は物質、cは光の速度 約30万km/秒である。

エネルギーと物質とは等しいということである。
最もシンプルで美しい数式といわれることがある。

この数式と「空即是色」が対応していることに、筆者は20代後半のときに気づいた。
「空即是色」の「空」はE つまり「エネルギー」、「色」は質量m、あるいは物質mc2である。

「空」は「実体のないもの」ではなく、「エネルギー」という形はないが「実体のあるもの」なのである。

なお現在でも、宇宙は真空で何もないと考える人が多いと思うが、真空にはエネルギーがあることがわかっている(村山斉監修『アインシュタインの世界一有名な式E=mc2』ニュートンムック別冊、株式会社ニュートンプレス、2011年)。

約2500年前に釈迦が瞑想をして悟ったこととは、「空」つまり「エネルギー」を体感し発見したことなのである。

釈迦自身がまわりの人々に理解されないと思ったとしても納得できることである。
当時だけではなく、現代の仏教者や仏教学者でも、残念ながらほどんどいないといえると思われる。

釈迦は瞑想で「空=エネルギー」を悟り、生老病死の苦を超えた!!

生命・生物は物質がさらなるエネルギーを得て成長し動く組織体になったといえる。
つまり、生命・生物は「物質+エネルギー」からできているのである。

生命は死ぬと身体が動かなくなり物質になるが、この物質は化学変化をして「エネルギー」になっていく。
つまり、死とは無になることではなく、身体(物質=色)が大きな「エネルギー」にもどっていくことなのである。

「死をわたる」あるいは「死に勝てる」のは、ニルバーナ(涅槃)に入る、つまり「エネルギー」にもどることで、無にはならないからである。

死ねば死王は見ることができるのであるが、「エネルギー」にもどり死なない「涅槃(ねはん)=エネルギー」になり形がなくなった人を、死王は見ることができないのである。

「エネルギー」は物質だけではなく、生命を生み出す大本であり、われわれは「エネルギー」抜きには生きていけない。
大本の「エネルギー」に戻れば束縛はなく、不死となるのである。

釈迦は「観の瞑想」つまり「真理を観る瞑想」により、「物質、肉体としての自分」ではなく「エネルギーとしての自己」、
つまり「生老病死のない自己」を悟り、毎日の「観の瞑想」で「エネルギーとしての自己」「不死の自己」を体感していたといえよう。

釈迦は「エネルギー」を定性的に発見した人類初めての科学者で、「エネルギー(空)一元論」者だったともいえる。

アインシュタイン(1879~1955)はエネルギーを定量的に数式E=mc2 で表わした科学者である。

この数式は、原爆の核分裂や水爆の核融合の原理にもなっている。
原爆や水爆は物質を巨大なエネルギーに変化させることによって実現したのである。

広島に投下された原子爆弾には64kgのウランが搭載されていたが、エネルギーに転化して消えた質量はわずか0.7gで、0.0011%だという(山田克哉『E=mc2 のからくり』ブルバックス、講談社、2018年)。
自分の身体が64kgだとした場合、全身体がエネルギーになったら、91,428発分の原子爆弾になるのである。

「物質、肉体としての自分」の「もう一人の自己」「真の自己」とは、「ばくだいなエネルギーからなる自己」あるいは「宇宙のエネルギーと一体の自己」なのである!

「観の瞑想」で、まず大切なことは「ばくだいなエネルギーからなる自己」あるいは「宇宙のエネルギーと一体の自己」を全身で感じることなのである。

次に、そのエネルギーを自分のためだけではなく、他者、社会、国、世界などのために使って、生きる喜びを知ることが大切なのである。

釈迦の瞑想と禅、南伝仏教、マインドフルネス瞑想との違い

日本の禅宗、道元の曹洞宗では只管打坐(しかんたざ)、ひたすら坐禅をすることが重視されている。
臨済宗では公案を解くことに集中することが重視されている。

いずれも「止の瞑想」であるように思われる。
前者は思考を止めて無念無想になる瞑想で、後者は公案という特定の問題に意識を止めて集中するのである。
いずれも自分を見つめて、規則正しい生活をするためには、大変意義がある。

しかし、釈迦の「観の瞑想」、つまり「すべては空=エネルギーである」という真理を観る瞑想は行われてこなかったように思われる。

釈迦が悟った内容がわからなかったから、暗中模索の「止の瞑想・坐禅」をしていたといえるだろう。
あるいは釈迦の悟りに達した人はほとんどいなかったといえるのではないだろうか。

 

宮本啓一『[全訳]念処経 ブッダの瞑想法』(花伝社、2022年)は南伝仏教の経典で、パーリ語から訳されている。
南伝仏教は上座部仏教あるいは小乗仏教といわれ、出家者のための仏教である。

『念処経』とは、対象を記憶に刻む込む集中力の発動を説く経であるという。

身体に集中する身念処、感受に集中する受念処、心に集中する心念処、事象に集中する法念処の四部門に分けて修行生活の方法が説かれている。

呼吸に集中する数息観から四聖諦(苦集滅道)までの詳細が書かれている。

七年間 (あるいは最短で七日間) 修行すれば、阿羅漢果(解脱にいたる境地)あるいは不還果(生まれ変わることのない境地)の果報が期待されるという。

この経や同書の解説には、「空」については何もでてこない。

ブッダが悟ったことは四聖諦(苦集滅道)や十二因縁(縁起)までのようである。
つまり、ブッダは「空」を悟ったということになっていないし、『念処経』の瞑想法は「止の瞑想」で、「空」を悟る「観の瞑想」をしていないようだ。

なお、同氏によると、最近広まっている心理療法としてのマインドフルネス瞑想をTVで見て知ったとき、ブッダの『念処経』の順序にそっくりだと思ったという。

マインドフルネスは不安や心配事を静めて、今、ここだけに集中して生きられるように瞑想を活用する心理療法のようである。
心身の健康にはいいが、「空(=エネルギー)の悟り」に達することは求めていない。

 

ロバート・ライト『なぜ今、仏教なのか 瞑想・マインドフルネス・悟りの科学』(熊谷淳子訳、ハヤカワノンフィクション文庫、早川書房、2020年)をタイトルから期待して読んだ。

著者のマインドフルネス瞑想体験記である。
「マインドフルネス瞑想は真実に近づくことができる」(388ページ)とあり、無我や空、悟りについて論じている。
ただし、「空」について「本性のないもの」と解釈してしまい、「エネルギー」であると理解できていないので、全体として歯切れの悪い記述になっている。

「悟りの科学」という言葉がサブタイトルにあるので期待したが、残念ながら「悟り」と「科学」が抜けていて、期待は満たされなかった。

「空=エネルギー」であることがわかれば、著者のあいまいな記述は一気に解決すると思われた。

なお仏教が人類の意識改革に役立ち、世界を平和にする可能性があるという主張には同感である。

釈迦の悟りから始める「空(=エネルギー)瞑想法」を実践しよう!

大乗仏教は誰でもが悟れることを説き、実現する仏教である。
釈迦は「空=エネルギー」を悟り、真理を観るための瞑想を人々にすすめていた。

釈迦が悟ったことから始める「空(=エネルギー)瞑想法」は修行としての瞑想でなく、「宇宙のエネルギー」と「エネルギーとしての自己」を体感して、誰でもがすぐに悟れる「大乗仏教の瞑想法」である。

釈迦が入寂してから約2400年がたつが、釈迦の悟りにもとづいた瞑想法が初めて確立されようとしているのである。

密教の空海の「即身成仏」を体験できる瞑想でもあり、阿の字(梵字)の掛け軸を観ながら瞑想をする阿字観が必要なくなる画期的な瞑想法といえる。
つまり、仏、阿字、大日如来とはエネルギーのことであるとすれば、それを体験できる瞑想法なのである。

老若男女を問わず誰でもが「物質としての自分」ではなく「エネルギーとしての自己」、「宇宙のエネルギーと一体の自己」を発見、実感できる画期的な新しい「大乗仏教の瞑想法」である。

誰でもが「宇宙のエネルギーと一体で不死であること」を体感できれば、生老病死などのあらゆる苦、悩みを解決することができる。

自分が「巨大なエネルギーからなる自己」で、夢を実現し成功する「エネルギー」が自分自身にあることを自覚できる。

「何ものにも負けない勝つエネルギーをもった自己」を体感できれば、人生を変えて成功することができる。
人生の早い時期から実践することが望まれる。

しかし遅くても有益で、死を迎える人などが「宇宙のエネルギーと一体の自己」を体験できれば、「不死の自己」「永遠不滅の自己」「涅槃(ニルバーナ)にいる自己」を発見できるのである。

釈迦の悟りを体験する「空(=エネルギー)瞑想法」は宇宙の真理や善、美、生命の尊さなどを体感できる瞑想法でもあり、人々が平和に生きることの大切さを知ることができる。

毎日実行すれば毎日悟れて、「悟りの日々」にすることができるのである。

誰でもが短時間でもでき、結跏趺坐(けっかふざ)、半跏趺坐、ヨガのポーズ、正座、椅子に座る方法、歩きながら、あるいは寝ながらでもすべて可能である。

大切なのは「止の瞑想」より、「観の瞑想」なのである。

多くの人々が「空(=エネルギー)瞑想法」から、戦争をやめて平和に生きる知恵と勇気、エネルギー、パワーなどを得ることができる。

人類、ホモサピエンスを進化させて、平和で美しい国、世界にするために、「瞑想・坐禅革命」が起こることを期待したい。

 

 

講談社で電子書籍化されました。
『マンガ 誰にもわかる 人間アインシュタインと相対性理論』 山本キクオ―=画、千崎研司=作、渡辺正雄=監修
『マンガ ニュートン万有引力入門』 石田おさむ=画、千崎研司=作、渡辺正雄=監修
『マンガ ダーウィン進化論入門』 瀬口のりお=画、田中裕=作、渡辺正雄=監修
『マンガ フロイトの「心の神秘」入門』 石田おさむ=画、細山敏之=作、福島章=監修
『マンガ ユング深層心理学入門』石田おさむ

 

TOP