ネットギャラリー両界堂 1-4 聖徳太子と最澄
[ 作品 1-4 ]

聖徳太子と最澄

聖徳太子(574~622)は607年、遣隋使の小野妹子に前世に所持していた『法華経』を隋に取りに行かせたといわれている。

最澄(767~822)は816年、四天王寺に参籠したとき、聖徳太子は『法華経』を日本に伝えた方であり、自分はその教えを継ぎたいという決意を詩に表した。
そのとき、四天王寺に住して、六時堂と薬師院を建立している。

その後も、四天王寺は天台宗との縁が深く、円仁が829年に『法華経』と『仁王経』を講じたり、高僧が別当になっている。

聖徳太子が亡くなって1400年がたち、四天王寺などでは2021年から2022年にかけて大きな法要が行われた。
また、最澄も亡くなって1200年がたち、比叡山延暦寺などでは法要が行われた。

聖徳太子は比叡山に四天王寺を創建するときに材木を見に行ったという。
現在でも椿堂があり、1400年ご御遠忌のときにご開帳された。

二人はともに『法華経』を重視して、日本の大乗仏教の基礎をきずいた。

804年に最澄は遣唐使として唐にわたり、中国天台宗や禅、戒律、密教などを学んだ。
最澄は『法華経』だけではなく、智顗の『摩訶止観』も重視した。
止観とは瞑想、あるいは禅のことであるが、同書は釈迦の瞑想を解説するというより、『法華経』を実践、体得するための坐禅を含めての修行法を解説している書のようである。

釈迦は瞑想をして「色即是空 空即是色」(『般若心経』)を悟り、「空」が「エネルギー」を意味していたことも悟っていたように推定できる。

この釈迦の瞑想に近い瞑想をしていたのが、聖徳太子である。
聖徳太子は605年、斑鳩宮ができて、夢殿で瞑想をしていたと伝えられている。
聖徳太子が残した言葉に「世間虚仮、仏唯是真」(世間は仮の姿、仏のみ真である)がある。

釈迦は生後7日で母親を亡くし、聖徳太子は16歳のとき父親を亡くして、人間の生と死(「この世」と「あの世」)に普通の人より問題意識が高かったように思われる。
二人は「この世」と「あの世」を貫く真理を明らかにしたといえる。

一方、最澄は「あの世」についての発言はしていないように思われる。
最澄は聖徳太子、釈迦と同様に「この世」をよくしようとしていたとはいえる。

最澄が818年に定めた「山家学生式」の中の「一隅を照らす、これ即ち国宝なり」という言葉は、現代の多くの人々の心に響き、生きる勇気を与えている。

なお、最澄は唐に行ったときに、密教に出会い関心があった。
帰国した空海から灌頂をうけたが、経典の貸出しを断られてしまい途中で終わってしまった。
最澄の夢は弟子の円仁、円珍、安然によって継がれて、天台密教が完成した。
しかも、「顕密一如」という真理に達して完成することになる。
つまり、釈迦の教え、顕教と密教は一致するということである。

なお、最澄の比叡山延暦寺から、法然、栄西、道元、親鸞、日蓮など、鎌倉仏教の宗祖が育った。
日本で大乗仏教が大きく進化したといえる。
聖徳太子の四天王寺では、彼らのそれぞれの命日には毎年、法要を行っている。

 

講談社で電子書籍化されました。
『マンガ 誰にもわかる 人間アインシュタインと相対性理論』 山本キクオ―=画、千崎研司=作、渡辺正雄=監修
『マンガ ニュートン万有引力入門』 石田おさむ=画、千崎研司=作、渡辺正雄=監修
『マンガ ユング深層心理学入門』石田おさむ
『マンガ フロイトの「心の神秘」入門』 石田おさむ=画、細山敏之=作、福島章=監修
『マンガ ダーウィン進化論入門』 瀬口のりお=画、田中裕=作、渡辺正雄=監修

TOP