ネットギャラリー両界堂|1-5 聖徳太子と空海
[ 作品 1-5 ]

聖徳太子と空海

 聖徳太子

聖徳太子(574~622)は用明天皇の第一皇子として生まれた。586年に即位した用明天皇は法隆寺の建立を発願しているが、翌年に亡くなってしまった。法隆寺は20年後の607年に聖徳太子により建立されている。

仏教が伝来した538年(日本書紀は552年)から36年後に生まれた聖徳太子は、仏教を支持し信仰していた父親の用明天皇や蘇我馬子などの仏教的環境のなかで育ち、自然に早期教育が行われていたと思われる。
2歳のときに東に向かって南無仏と称えたという話は、必ずしも架空の伝説とも思えない。

聖徳太子は595年、24歳のときに高句麗から来日した僧の慧慈と師弟の縁を結び、仏教を本格的に学んでいる。
また、論語などの儒教の典籍・経典も仏教以前に百済から伝わってきていて、聖徳太子は577年、6歳のときから学び始めている。

 593年、推古天皇は22歳の聖徳太子を皇太子として摂政とした。この年、四天王寺が建立されている。翌年、594年に仏、法、僧を重んじる三宝の詔(みことのり)が発せられ、仏教が国教とされた。

聖徳太子は、603年、32歳のときに冠位十二階を制定して、豪族による政治ではなく天皇を中心とする政治体制をきずいた。翌604年に『十七条憲法』を定めて役人としての心構えなどを明らかにした。

606年、聖徳太子は35歳のときに推古天皇の要請により勝鬘経を3日をかけて講じ、そのときの姿が笏(しゃく)やシュビなどをもつ絵で描かれている。そのあと7日かけて法華経を講じた。その後、解説書である勝鬘経義疏、法華経義疏、維摩経義疏の三経義疏が著わされた。
聖徳太子は日本で初めての仏教書を著わした本格的な仏教者であり、政治家であったのである。

 

 空 海

明治以降、真言密教は祈祷(きとう)仏教とみなされて、人気が低迷していた時期があった。戦後、マンダラの意義を明らかにした深層心理学者のユングの理論が日本で紹介されたり、司馬遼太郎が『空海の風景』を著わしたことにより、密教が見直されて人気を回復した。

現在の香川県善通寺市に生まれた空海(774~835)の出来事では、次の6つが重要である。

① 788年、叔父に従って上京、791年に大学に入り、797年に『三教指帰』を著わして出家した。四国の各地で修行し、虚空蔵菩薩求聞持法を実践していたこと。

② 804年、遣唐使の留学僧となり、唐の都、長安で密教の第一人者、青龍寺の恵果から胎蔵界、金剛界の両方の正当な密教を授けられて、第八祖となったこと。中国で
の滞在はわずか2年であった。

③ 帰国後、胎蔵界と金剛界の両界曼荼羅などを持ち帰った空海は、東寺(教王護国寺)で密教の研究、修行に努め、真言宗の開祖となったこと。

④ 東寺の講堂に大日如来を中心にして21体の仏像による立体曼荼羅をつくったこと。

⑤ 身心ともに大日如来と一体になって修行すれば、この身、このまま仏となることができると「即心成仏」を説いたこと。

⑥ 高野山を開き修行道場としたこと。空海がなお生きて修行を続けているとされる奥の院の参道には、日本を代表する歴史的な人物の供養塔や墓が多数続き聖地となっ
ている。

その他、『十住心論』を著わして心の十段階論を説いたことや、綜芸種智院の設立、書や詩文、満濃池修築など多種の才能をもち、多方面で活躍した。

聖徳太子と空海(774~835)とのつながりはほとんどないように思われるかもしれないが、意外とあり、空海は四天王寺や聖徳太子の磯長陵(しながのみささぎ)のある叡福寺を参詣していた。

787年に空海は聖徳太子が創建した四天王寺に仮住まいをし、西門で日想感(じっそうかん)を初めてしたと伝えられている。日想観とは西門の向こうに沈む夕陽を見て極楽浄土を思い浮かべる観法である。

四天王寺の境内には弘法大師像があり、毎月21日はお大師さん(大師会)といわれ縁日となっている。空海の命日3月21日には講堂で法要が毎年行われている。

空海は唐から帰国した4年後の810年、36歳のときに聖徳太子の磯長陵のある叡福寺にも百か日参籠していて、96日目の夜、太子が現われたという。空海が廟の前につくった未完の結界石があり、境内には弘法大師像と弘法大師堂がある。

なお、聖徳太子に関係する曼荼羅には2種類ある。
一つは、聖徳太子の死後に、太子が往生した天寿国を図像化して太子をしのぼうと、妃の橘太郎女が発願してつくられた「天寿国繍帳」である。

もう一つは、太子信仰が活発に行われた鎌倉時代に聖皇曼荼羅や五尊曼荼羅などがつくられたことである。聖皇曼荼羅は中央に摂政像の聖徳太子、周囲に関係する人物が描かれている。法隆寺聖霊院院主の顕真によって制作され、江戸時代に版画でもつくられて広く普及したという。

五尊曼荼羅は、中央に大日如来、上に如意輪観音と虚空蔵菩薩、下に太子と空海が描かれた曼荼羅で、法隆寺にある。

その他、鎌倉時代以降、太子絵伝がつくられ太子信仰を広めていったことも注目される。四天王寺の絵堂が最古といわれている。

聖徳太子は604年に『十七条憲法』を定めたが、仏教と『論語』などの儒教をベースとした聖徳太子独自の思想を表現した「顕教」の作品といえる。空海の「密教」の両界曼荼羅の思想・教えを現実の社会に実現化するために、『十七条憲法』は有効であるといえるであろう。

 

聖徳太子についての本は、[作品2-3]和の精神(Wa Spirits) 21 の解説の文末を参照。
追加は、四天王寺から発行されている「和communication 四天王寺」、第753号(平成25年1・2月号)、第789号(平成31年1・2月号)など。

 

空海などについての本:
まずお薦めしたいのは、司馬遼太郎『空海の風景』上下、中公文庫、1978年
NHK取材班『「空海の風景」を旅する』中公文庫、2005年
『生命の海<空海>』仏教の思想9、宮坂宥勝・梅原猛、角川書店、1968年
『空海の思想について』梅原猛、講談社学術文庫、1980年
『空海入門』ひろさちや、NON・BOOK 祥伝社、1984年
『空海 生涯と思想』宮坂宥勝、ちくま学芸文庫、2003年
『沙門空海』渡辺照宏・宮坂宥勝、ちくま学芸文庫、1993年
『密教瞑想と深層心理』山崎泰廣、創元社、1981年
『密教の愛の神仏』村岡空、大蔵出版、1992年
『真言密教の本』学習研究社、1997年
『印と真言の本』学習研究社、2004年
『[図解]密教のすべて』花山勝友監修、光文社文庫、1998年
『理趣経入門』加藤宥雄、立体社、1975年
『秘密の庫を開く[密教経典]理趣経』松長有慶、集英社、1984年
『うちのお寺は真言宗』総監修・藤井正雄、双葉社、1997年
『真言宗のお経』監修・山田一眞、大塚秀見、双葉社、2000年
『空海! 感動の人生学』大栗道榮、中経の文庫、中経出版、2008年
『空海! 感動の言葉』大栗道榮、中経の文庫、中経出版、2011年

2022.6.1

 

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