
「平成」から「令和」への宿題
平成の天皇(現在の上皇)は太平洋戦争の激戦地であった沖縄や硫黄島、ハワイ、サイパン、パラオのペリリュー島、フィリピンなどへ戦没者慰霊の旅をされた。しかし、246万6千余柱の英霊がまつられている靖国神社には一度も親拝されなかった。
現在、首相などが終戦記念日などに護国神社を参拝すると、中国や韓国などから批判をされるため、首相も参拝しないことが多くなっている。
昭和50(1975)年11月21日に昭和天皇の靖国神社への親拝は政教分離の憲法に違反しているのではないかという批判がでてからは、昭和天皇は一度も親拝されていない。
東条英機などのA級戦犯が靖国神社にまつられるようになったのは昭和53(1978)年で、まつった当時は批判されなかったが、昭和60(1985)年に中曽根康弘首相が「公式参拝」したときに中国から抗議され始めた。海外から批判されないように、国会でも宗教施設ではない形式が検討されたが決定するまでにはいたらなかった。
靖国神社は明治天皇が明治2(1869)年に戊辰戦争(鳥羽伏見の戦いから五稜郭の戦いまでの内戦)の官軍の霊をまつるために、東京招魂社を創建したことに始まる。明治12年に靖国神社となり、その後、日清、日露、太平洋戦争などの英霊をまることになった。太平洋戦争が始まる前までの祭神は約33万柱であった。
最近までの靖国神社の状況や問題点などについては多数の本が出版されているが、最近の本では島田裕巳著『靖国神社』(幻冬舎新書、平成26[2014]年7月)や宮澤佳廣著『靖国神社が消える日』(小学館、平成29[2017]年8月)などがあるので、お読みいただきたい。
令和の天皇にかぎらず首相などが靖国神社を参拝しても批判されないようにするためには、靖国神社が伝統的な行事だけを行っているのでは無理であろう。
靖国神社に合祀されない国内および諸外国の人々を慰霊するために鎮霊社という小さな祠が昭和40(1965)年にたてられた。しかし現在、柵(さく)がしてあり一般の人は入れず、不十分であることは明らかである。
創立されて150年以上がたった現在、幕末・明治初期の戊辰戦争の賊軍などの霊をもまつるだけではなく、それ以降の敵国だった中国、朝鮮・韓国、ロシア、アメリカなど各国の英霊や犠牲者などの霊をもまつり、世界中の人々が自由にお参りすることができるようにするのがよい。
戊辰戦争の賊軍などをまつることは靖国神社の創建の方針に反すると考える関係者は多いであろう。しかし、明治天皇が数え18歳のときにつくられた当時は、官軍の犠牲者を悼むことで手一杯であったであろう。その延長線上のままで現在まできて、各戦争がノーサイドになっていないのである。
明治元(1868)年3月に明治天皇は「五箇条の御誓文」を天地神明に誓われた。その第一条が「広く会議を興し、万機公論に決すべし」である。
昭和天皇は敗戦後の昭和21(1946)年元旦の「新日本建設に関する詔書」(人間宣言)の中で「五箇条の誓文」を引用し、新しい日本を建設する基本方針にした。
伝統を引き継ぐだけではなく、皆で議論をして新しい体制、スタイルにたえずしていくことを望まれているのである。
筆者は靖国神社や明治神宮、京都にある明治天皇の伏見桃山陵などをお参りするたびに、明治大帝といわれることがある明治天皇が、「官軍だけではなく賊軍もまつり、また敵国の霊などもまつり、そろそろ各戦争をノーサイドにするように」といわれるお声が大きくなってくるような気がする。
プーチン大統領のウクライナ侵攻、中国が台湾に攻め込む可能性、北朝鮮の核やミサイルの開発、ミャンマーでの軍事政権の誕生など、武力・暴力に頼る国が多くなる中で、自国の霊だけではなく、敵国の霊もまつり供養することは、命を大切にして無駄な戦争や紛争、人殺しをやめて、平和な国や地球をつくろうというメッセージ、呼びかけにもなる。
平成から令和の宿題を解決するためには、相互供養、相互礼拝をして自他の命の尊さを表現して、海外から批判がでずに令和の天皇やその後の天皇が親拝できるようにするとともに、平和外交にも役立つようにすることが大切なのである。
そのためには、創立されて150年以上がたった靖国神社の関係者、遺族、国民などが発想の大転換、つまりパラダイム(思考の枠組み)の大転換をおこなって「進化」することが望まれている。
2022.5.1
『深層心理学のレジェンド ユング』石田おさむ
『精神分析のレジェンド フロイト』石田おさむ・画, 細山敏之・作, 福島章・監修
『近代科学のレジェンド ニュートン』石田おさむ・画, 千崎研司・作,渡辺正雄・監修
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