作美アート 2-3
[ 作品 2-3 ]

和の精神(Wa Spirits)21

2015年、中東においてIS(イスラム国)が急激に戦闘地域を拡大し、多くの難民が生じるだけではなく、欧米においてテロが多発した。
現代の国際的な紛争、テロ、戦争、難民問題などを解決するヒント、知恵が「和の精神」を重んじた聖徳太子(574~622)の『十七条憲法』から得られるかもしれないと思い読み直したことによって、「和の精神(Wa Spirits)21」ができた。

IS(イスラム国)の支配した都市モスルは2017年7月イラク軍に、ラッカは同年10月クルド人主体のシリア民主軍によって制圧され解放されたが、ISの兵士は出身国などに戻っているので、今後もテロの確率は高い。

武力によって国を支配しようとする傾向は他でも多くみられる。
つい最近では、2月24にロシアのプーチン大統領がウクライナに侵攻してしまった。アフガニスタンにおけるタリバンによる征服、ミャンマーの軍事政権、北朝鮮の核ミサイルや大陸間弾道弾の開発、中国が香港を一国二制度から一国一制度にしてしまったことなど、この他にも世界を見わたすと独裁国家が多くなり、弾圧や内戦、紛争などが起こる可能性が高くなっている。
これらの問題を解決するためには、聖徳太子の「和の精神」が非常に役立つと思う。

インド哲学、仏教学者の中村元(1912~1999)は『聖徳太子』(日本の名著2、中央公論社、1970年)、『聖徳太子 地球志向的視点から』(東京書籍、1990年)の中で、狭い地球号の上で何十億の人が仲よく生きていくために聖徳太子の精神の世界史的な意義を指摘し、質的に高めて太子の宗教的な生命が現代人の心に光明を与えられるようにする必要性を強調していた。
後者の本の中には英訳された『十七条憲法』も掲載されている。大いに活用していきたいものである。

また、北東アジアを中心に国際的な視点から聖徳太子を分析した哲学者の梅原猛(1925~2019)は『聖徳太子』第1~4巻(集英社文庫、1990年)で、聖徳太子は日本の基礎をきずき千年も二千年も通用する理想を示した政治家、思想家であることや、その現代的な意義を強調している。
第2巻において約200頁にわたって『十七条憲法』の思想を総合的に独自の分析をしていて圧巻である。

聖徳太子が19歳 (592年)のとき、崇峻天皇は任那を再興するために、新羅と戦う準備として2万人の兵士を九州の筑紫に待機させていた。そのときに蘇我馬子が崇峻天皇を暗殺させる事件が起こった。
翌年20歳(593年)のとき、推古天皇が即位して聖徳太子は摂政になり四天王寺をつくった。
聖徳太子は日本を統一して平和な国家とするためには「和」が大切であることを実感して、31歳 (604年)のときに『十七条憲法』を制定した。

『十七条憲法』は仏教、儒教、法家、老荘などの教えを統合してつくられており、全体としては現代人が読んでも役に立つ内容である。しかし、当時の役人などを主な対象として仕事の仕方や生き方などを中心に説いているので、細部においては現代の一般の人々には少しあわないところもある。

『十七条憲法』の各条を「飛訳(躍)」しながら、短くわかりやすい文章にして一般化し、現代までの知恵の成果などの新しい4項目を加えて、21世紀にふさわしい内容にしてみたのが「和の精神(Wa Spirits)21」である。
現在と未来の日本人、そしてあらゆる民族、国や宗教の人々にも役立つものになることを願っている。

2021年から2022年にかけて聖徳太子の1400年ご遠忌が行われている。聖徳太子や『十七条憲法』には日本国内において今後も意義があるが、国際的にも重要な役割がでてきている。
日本の「積極的平和主義」の中心の哲学、思想にふさわしいように思われる。

親鸞は聖徳太子を「和国の教主」として敬ったが、これからは「世界の教主」あるいは「世界の摂政」としての意義、役割があるのではないかと思われる。

 
1 和を貴ぶ。

『十七条憲法』の各条は主となる言葉が冒頭にあり、次に従となる解説的な文章が続く形式となっている。
ここでは各条の主の言葉をそれぞれ掲げ、むずかしい漢字はひらがなにして簡潔に説明をしながら、「和の精神(Wa Spirits)21」の各項目の言葉を説明していきたい。

第1条の冒頭には「和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗(むね)とせよ」とあり有名である。前半は『礼記』、後半は『荘子』に出てくる言葉である。
中を読んでいない人は談合を勧めていることだと誤解している人がいるが、そうではなく上の者と下の者が反発しあうことなく仲よくして議論をしていけば、理にかなった結論が出て必ず実現できるであろうという内容になっている。

「和」の考え方は仏教というより、『論語』で「礼の用は和を貴しとなす(礼のはたらきとしては調和が貴いのである)」などとでてくるように、儒教で重視されているといえる。
「和」を最も重要な考え方としたところに、聖徳太子の独創性がある。百済から538年(あるいは552年)に仏教が伝わるが、百済から513年と516年などには五経博士がすでに来日している。
このときに『礼記』『論語』などの書が伝わってきている。それらも聖徳太子は学び仏教の長所と統合して604年に『十七条憲法』を制定したのである。

2 四宝を敬い、宗教・宗派の異なる人々をも敬う。

『十七条憲法』の第二条では、「あつく三宝を敬え」とある。三宝とは仏教の仏、法、僧のことである。594年に推古天皇と聖徳太子は「三宝興隆の詔(みことのり)」をだして、仏教を日本の国教とした。

聖徳太子が重視した『法華経』では誰でもが仏性をもち仏になれる尊い存在であると説かれ、常不軽菩薩が人々を礼拝した話などがある。
つまり、大乗仏教では一般の人々も「宝」であるので、それを加えて現代の「四宝」とした。

自分の宗教、宗派が世界で一番すぐれていると思い、他宗教、他宗派を批判する宗教者や信者が多い。しかし、これは理解不足、誤解からであるといえる。
深層心理学者ユングは人間の深層心理には人類に普遍的な無意識があることを明らかにした。
人類に普遍的な無意識(宇宙的無意識)を真理、仏性、仏心あるいは神性などと解釈するならば、それに達することが悟りであり、それにいたる道が各宗教、各宗派の教義、教えで、悟りにいたる道は複数あるといえるのである。

なお、仏教の「唯識」における第八識「阿頼耶識(あらやしき)」はユングの人類に普遍的な無意識にあたるであろう。

各人が自分に合った宗教、宗派によって真理、人類に普遍的な無意識(宇宙的無意識)に達することが大切なのである。
各宗教は風土、民族、生活習慣、伝統、文化、言語などの違いにより異なる教義体系になっているので、どれが優れているかを競っても意味がないのである。
たとえば物理学の素粒子の法則である量子説の量子力学と波動説の数式がどちらも真理であるというのと同じである。

自分とは異なる宗教、宗派についてはくわしく知らなくても、各宗教が真理に達する道であると謙虚に考えて相手の宗教、宗派を貴ぶことができれば、紛争や戦争、テロなどは解決でき、難民問題も生じないであろう。
自分の宗教、宗派だけが正しく、人類に普遍的な無意識(宇宙的無意識)に達する唯一の道であるという狭い考え方をしていては、争いや戦争はいつまでも解決できないであろう。

3 天地人を尊び、謹んで生きる。

『十七条憲法』の第三条では、「詔(みことのり)を承りては必ず謹め」とある。詔(みことのり)とは天皇の言葉である。
天地人という視点から政治や人生を考えるのは、中国の『易経』などであるが、天地人にかなう政治、人生がよき政治、よき人生となる。

日本では古代から見ても独裁的な政治体制の時代は少なく、天皇を決めたり日常の政治も合議制で行われてきた時代が多いといえる。
世界的に見た場合、国や時代によっては独裁的な悪政で、革命や政権交代が必要であるにもかかわらず、国民が従順にしたがっているだけの暗黒の時代や国があったし、現在でもある。

指導者が私心、私欲、権力欲などで自己を中心にして政治を行うと悪政になる。
指導者にかぎらず、多くの人々が私心、私欲をすてて、天地人を貴び、謹んで生きることができれば、善き社会、時代となる。

天とは君、指導者だけではなく、広く宇宙、自然、太陽、神、仏など、地とは家臣、部下だけではなく、広くは地球、大地、環境などをも意味している。その恵み、調和の中で人間は生かされて生きていることを感謝して、謙虚に生きることが大切である。
第2項目で書いたように人間も「宝」なのである。天地人の法則にかなう生き方ができると、善政が行われるようになり、善き社会、国となる。

4 礼を重んじる。

『十七条憲法』の第四条では、「群卿百寮、礼をもって本(もと)とせよ」と書かれている。
群卿百寮とは政治にかかわる者やすべての役人ということで、上の者に礼があれば、下の者、国民にも礼が及び、よい社会、国となるので、礼を重視せよということである。

礼は儒教の『論語』で重視され、仁(思いやり)の実行に欠かせない。礼の基本は相手を貴ぶことである。
聖徳太子も重視をして、日本を礼のある平和な国にすることをめざし、聖徳太子は『十七条憲法』の前年の603年に冠位十二階の制度を決めて、礼が実践されやすくなるようにしたのである。

この礼を国内だけではなく、国家間、指導者間においても実践できるようになれば、平和な世界を実現できるようになる。

5 小欲より大欲を持つ。

『十七条憲法』の第五条では、「むさぼりをたち欲をすてて、あきらかに訴訟をさだめよ」とある。
民衆からの訴えがあるときには賄賂(わいろ)をもらってはいけないことと、公平に裁く必要性が書かれている。

現在の日本では賄賂は少なくなっているが、世界的にみると賄賂体質の国もまだ多いようで、現代の中国などでも地方の政治、行政を担当する共産党員の幹部が相次いで逮捕されている。
1400年前に賄賂をもらってはいけないとした聖徳太子の『十七条憲法』は、現在のどの国においても有益であろう。

賄賂をもらわないためには、自分のためだけの小さな欲望、小欲ではなく、人々、社会、国、世界のためになろうとする大きな欲望、大欲をもって生きることが大切なのである。

6 悪いことはせず、善を行ない、陰徳を積む。

『十七条憲法』の第六条では、「悪を懲(こ)らしめ善を勧むるは、いにしえの良典なり」と書かれている。
聖徳太子の言葉に「悪いことはせず善いことをすること(諸悪莫作 諸善奉行)」があり、『易経』に「積善の家に余慶あり(善いことをしていくと喜び、吉事がある)」、『准南子』に「陰徳あれば陽報あり(陰徳を積んだ人には、よい報いがある)」という言葉がある。

人が見ていようが見ていなくても善いことをして、陰徳を積んでいくことが大切なのである。
これが国の指導者とともに多くの人々ができるようになれば、テロや戦争、難民問題を生じない国になる。逆に、人が見ていないからといって悪いことをしていると、いつかはバレテしまう。
特にインターネット時代には証拠が残るので、悪用をせずに善用したいものである。

7 おのおのの使命に生きる。

『十七条憲法』の第七条では、「人にはおのおの任あり、つかさどることよろしくみだりならざるべし」とある。
役所の責任者に賢く実力のある人がなれば、いい評判がおこりいい社会になるが、愚かで実力のない人がなると乱れて社会が悪くなる。
官職にふさわしい人を適材適所で任命することが大切である。

これは役所だけではなく、政治家や会社など、あらゆる組織、仕事、職業でもいえる。広く考えて、自分の任務、責任をはたすためには、自分の命を何に使うのか、つまり自分の「使命」を早く見つけて生きることが大切である。
自分の使命を見つけたとき自分のアイデンティティを発見できたといえ、日本の社会、国だけではなく、世界の平和にも貢献できるようになる。

8 時間を大切にして、いまを生きる。

『十七条憲法』の第八条では、「群卿百寮、早くまいりて遅くさがれよ」と勧めている。
群卿百寮とは政治にかかわる者や官僚すべてということで、早く来て仕事をして、遅く帰るようにして精励せよということである。

組織に勤めていない人を含めてあらゆる人にもいえることは、広く解釈して、人間は自分の有限の時間を有意義に使い、過去を悔いるのではなく、また未来に不安をもつのではなく、いまを生きて充実させていくことが大切なのである。

9 神仏だけでなく、人間、自分をも信じて生きる。

『十七条憲法』の第九条では、「信はこれ義のもとなり。ことごとに信あれ」とある。
上下の人間関係や仕事においては信頼、まごころが大切で、義つまり正しい道、道理のもととなる。

神や仏を信じる人は少なからずいるが、神や仏を擬人的に考えるだけではなく、大きな宇宙、大自然の法則や真理(法身)として考えることが大切である。
その中で生かされて生きている人間や自分の可能性を信じて、善い状態にできるように生きていくと、神仏にかなう生き方となり、神仏が現われたといえることになる。

10 怒らず、忍耐強くある。

『十七条憲法』の第十条では、「心のいかり(忿)をたち、おもてのいかり(瞋)をすて、人の違うことを怒れざれ」とある。
怒りやすい人がいる。お互いに聖人、賢人ではなく、多様な人間が生きているのであるから、自分と異なるからといって怒ってはいけない。

すぐに感情的になり怒るのではなく、冷静に忍耐強く、相手の行動や成長などを見守りながら、仕事をしたり生きるために協力しあっていくことが大切である。

11 善いことを誉めて、悪いことは罰する。

『十七条憲法』の第十一条では、「あきらかに功過をさっして、賞罰必ずあてよ」とある。
功(てがら)と過(あやまち)を明らかにして、功には賞を過失には罰を与えることが大切である。

第6項目目の「悪いことはせず、善を行ない、陰徳を積む」と似ているが、上の立場に立った場合には、善いことは誉めて、悪いことは罰して、善いことが多く行われるようにしていくことが必要である。

12 人のため、世のために生きる。

『十七条憲法』の第十二条では、「国司、国造、百姓(ひゃくせい)よりおさめとることなかれ」とある。国司、国造とは当時の地方の長官、責任者である。
当時は統一した国家をきずきつつあった時代で、天皇が国の税をとっているので、地方の責任者が国民から二重の税をとってはいけないと禁止をした。

人間は自己保存本能の欲があるために利己主義におちいりやすく、私腹をこやしやすい。人の上に立つ人間ほど、他者のためにするという利他主義になって生きることが必要である。

熱帯病に役立つ治療薬のウイルスを発見して2015年にノーベル医学・生理学賞を受賞した大村章博士は祖母から「人のため世のために生きる」ように言われ続けてきて、迷ったとき判断することに役立ったという。
利他主義で生きると、自分の能力、才能を生かすことにもなるという好例であろう。

13 自分の責任を広くはたす。

『十七条憲法』の第十三条には、「もろもろの官に任ずる者は、同じく職掌を知れ」とある。
他の人が休んだ時にも代わりができるように、他の人の仕事内容も理解しておき、自分の責任をはたす必要性を説いている。

現在でも「お役所仕事」といわれるように、融通がきかない人、窓口、組織が多く、自分の決められた担当の仕事しかしない人、できない人が多い。
どんな職業、立場の人でも、自分の仕事を狭く考えてするのではなく、広く考えて、相手、他者のためにしてお役に立つことが大切なのである。

14 嫉妬をせずに、祝福をする。

『十七条憲法』の第十四条では、「群臣百寮、嫉妬あることなかれ」とある。
群臣百寮とはすべての役人ということで、どんな組織でも上にいくほどポストが少なくなるので、出世争いが生じやすい。
他の人の出世や幸運などを嫉妬してはいけないということである。

人間は自己中心主義になりやすく、他の人の出世や喜びを嫉妬して怨みやすい。人の幸福を祝福して、ともに喜べるようになる広い心が大切である。

15 この世を地獄とせずに、浄土、天国とする。

『十七条憲法』の第十五条には、「私にそむきて公にむかうは、これ臣の道なり」とある。
私情、私心をおさえて公のことをすることは、家臣の道であるが、これは君主を含めて、あらゆる人にも大切なことである。

自己中心主義になり私情、私欲で生きていると、自分の欲を満たすために悪いことや人を殺したりすることがあり、この世が地獄になる。
みんなが公、つまり人々、社会のために善いことをしていけば、この世が浄土、天国になるのである。

特に、国家の指導者の責任は重く、最近ロシアのプーチン大統領がウクライナに侵攻してしまったことは、ウクライナだけではなくロシアをも「地獄」にする可能性がでてきている。

16 時と場所などを考えて行動する。

『十七条憲法』の第十六条では、「民を使うに時をもってするは、いにしえの良典なり」とある。
むかしは国のために労働奉仕をさせられたり、戦争にも動員をさせられた。春の種まきや秋の収穫の時期は避けることを薦めている。

民の立場、つまり相手の都合、気持ち、事情などを考えることなど、人間は自分がいる場所、時間、タイミングなどを見て行動をしていくことが大切である。

17 重要なことは独断でせずに、みんなで議論をしてからする。

『十七条憲法』の第十七条では、「それ事は独(ひと)り断ずべからず、必ず衆とともによろしく論ずべし」とある。
さほど大事でないことは自分でして、重要なことは皆でよく話し合ってすることが大切であると補足されている。第一条でも上と下の者が仲よくして議論をする必要性を強調している。

聖徳太子は推古天皇の摂政になったが、推古天皇は太子の父の用明天皇の妹で、大臣は大物の蘇我馬子であった。聖徳太子が『十七条憲法』をつくったり、実質的な政治を行っていたが、推古天皇と蘇我馬子には相談したり、議論をして政治をしていたのであろう。
日本では独裁政治は少なく、議論、合議をして政治が行われてきた時代が多いといえるのではないだろうか。

聖徳太子の『十七条憲法』は、現代の独裁的な国、内戦状態にある国、戦争をしている国などが、民主的な平和な国をつくるうえでも有益で役に立つであろう。

 

以上の17項目が『十七条憲法』の各条をヒント、ベースにして、現代と未来の人々にあう内容に「飛訳」したものである。

次の4項目は21世紀の現在と未来の人々、社会、日本、世界のためになることを、聖徳太子の精神、心を生かして新たに追加したものである。

18 大きな自然のエネルギーが物質、生命になることを感じる。

有名なお経『般若心経』の中に「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」という言葉がある。色は物質のことであるが、空は実体のない無であるなどと、この空の解説がわかりにくいものがほとんどである。
聖徳太子は「世間虚仮(こけ)、唯仏是真」つまり「この世は偽り、仮の姿で、ただ仏のみ真である」といった。

この二つをわかりやすく理解させてくれるのが、物理学者アインシュタインの式、E=mc2  (エネルギー=質量×光の速度の二乗) である。
この式はエネルギーと物質の関係を表しているが、『般若心経』の「色即是空 空即是色」の色は物質、空はエネルギーと解釈できる。
大きなエネルギーが物質や生命になり、物質や生命はエネルギーに変化する。つまり、宇宙は大きなエネルギーの生命体と考えることができる。
詳細は[作品2-14] 色(しき)と空(くう)、を参照していただきたい。

聖徳太子の言葉は、「この世は物質からなり変化をしていく、ただ仏(エネルギー)のみ真である」と意(飛)訳でき、仏は空、つまりエネルギーであり、エネルギーが真の姿、真理といったとも解釈することができる。
なお、昔の人が気、霊、魂という言葉で表していたことはエネルギーを意味していたとすると理解しやすくなる。

仮の姿、物質にとらわれずに、真理、エネルギーを大切にして生きていくことが、必要なのである。

19 地球上に人間、自分が生きていることは最高の奇跡である。感謝して、祈る。

聖徳太子は数え14歳(587年)のときに、父の用明天皇を亡くしている。父のために薬師如来をつくり、607年に法隆寺を創建した。
この世のはかなさ、健康で生きていることは奇跡で大切であると実感したからこそ、「世間虚仮、唯仏是真[この世は虚仮(こけ)で、ただ仏のみ真である] 、つまり「諸行無常」、すべてのことは変わり、仏法のみ真実と実感したのであろう。

この世、大宇宙の中に人間、自分が生まれてきたのは、奇跡中の奇跡である。
人間の命は生命の125億年の歴史、進化からできている。その命に感謝して悔いのない人生とするために、祈りながらいきていくことが大切なのである。

20 生老病死を生きる。すべては神仏、つまり真理の現われである。

釈迦は、人生には生老病死の四つの苦しみがあることを指摘した。聖徳太子は49歳(622年)で亡くなっている。
死の原因を明確に記した書はないが、その前日には妻の膳菩岐岐美郎女(かしわでのほききみのいらつめ)[膳部太郎女(かしわでのおおいらつめ)と書かれているときもある]、前年の12月には母親の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのみこ)がなくなっている。

最近のコロナウイルスの流行から考えると、当時、遣隋使などにより天然痘の感染症(疫病)が流行ることがあったようなので、聖徳太子などの死も感染症であったと推定してもいいように思われる。

寿命の長短にかかわらず、死の悲しみと不安、苦しみなどから脱してなくすためには、心を広く深くして真理に至ることが必要である。

生老病死という変化のすべては物質、エネルギーと生命の変化という真理の現われであるので、生老病死のそれぞれから逃げるのではなく向かいあって生き切ることが大切である。
生とはエネルギーが物質になり生命になることであり、死とは無になることではなく、生命が物質とエネルギーにかわり、大きな無限のエネルギー(大生命)の流れに戻ることであるといえるであろう。

21 真善美愛に気づき、工夫をして表現する。

ギリシャ哲学などの欧米の哲学、思想で重視されているキーワードは真善美であるが、それぞれを探究することによって科学、技術、医学、福祉、芸術などとして発達してきた。

もう一つ、キリスト教の愛(アガペー)も欧米人の重視している概念であろう。
真善美愛のそれぞれの探究は人生を豊かにするとともに、人々、社会、国、世界にとっても有益になる。

仏教では知恵と慈悲を重んじるが、聖徳太子は『法華経』『勝鬘経』『維摩経』を重視して日本で初めて体系的な『三経義疏』を著わして真理に達し、仏教の教えを実践し悲田院(養老院)、施薬院(薬局)、療病院(病院)、敬田院(四天王寺、学校)などをつくり、人々に愛を注ぎ善を実行する在家の政治家であったが、真の宗教者であったともいえよう。

これらの事業は現在でも引き継がれて行われている。聖徳太子は四天王寺以外にも斑鳩寺(法隆寺)などの寺もつくり、仏教美術を発展させ、新しい美を表現したといえる。
つまり、聖徳太子は真善美愛をすでに実践していた。
「和の精神(Wa Spirits)21」として新しい4項目を入れてみたつもりであったが、解説を書いているときに、すでに聖徳太子が表現し実行して生きていたことを再認識させられた。ということで、次の短い新和讃と本作品(オマージュ)ができた。

「和の精神(Wa Spirits) 21」を1400年以上前に実践していた人間がいる。
聖徳太子である。

人類がテロや戦争をせず人を殺さず、難民や餓死者をださない平和な国をつくり進化するためには、聖徳太子が1400年ご遠忌を機に「和国の教主」から「世界の教主」あるいは「世界の摂政」になることが望まれる。

 

世界を見渡してみると、ロシアのプーチン大統領をはじめ、暴力や武力に頼る権力者や国が多くなり、国際的な退行、退化現象が多くみられるようになってきた。
聖徳太子の宗教、思想、哲学は問題を解決して、人類が進化していくための世界史的な意義をますますもってきている。
聖徳太子が1400年ご遠忌を機に「和国の教主」から「世界の教主」あるいは「世界の摂政」になる意義がでてきている。

インド哲学者の中村元や哲学者梅原猛が望まれていたように聖徳太子の思想、精神が世界へ広まるために「和の精神(Wa Spirits)21」が役に立ち、世界平和にも貢献できればと思っている。

ちなみに、個人的なことでであるが、筆者(聖空)は編集者として、中村元先生に2度、梅原猛先生に1度だがお会いできた。中村先生には当時の神社本庁総長で鶴岡八幡宮宮司であった白井永二先生と対談をしていただき、まとめさせていただいた。
梅原先生には宗教書のシリーズ本の監修をお願いして、先生からはご了承を得たのだが、出版社の編集責任者が変わり、その後任者が宗教ジャンルを好きでなかったので実現できなかった。

今回「和の精神(Wa Spirits)21」をつくることができ、お二人の考えを発展させ実現することのワンステップとして役立つことができればと思っている。

 

推薦図書: 聖徳太子についての本は多数あるが、まず次の本をお薦めしたい。
中村元『聖徳太子』(日本の名著2) 中央公論社、1970年
中村元『聖徳太子 地球志向的視点から』東京書籍、1990年
梅原猛『聖徳太子』1~4 集英社文庫、1993年
上原和『聖徳太子』1987年、『斑鳩の白い道のうえに』1992年、講談社学術文庫
『聖徳太子の本』学習研究社1997年
谷川健一『四天王寺の鷹』河出書房新社、2006年
瀧藤尊教、田村晃裕、早島鏡正『聖徳太子 法華義疏(抄) 十七条憲法』中公クラシックス、2007年
石井公成『聖徳太子 実像と伝説の間』春秋社、2016年
『古代史再検証 聖徳太子とは何か』別冊宝島2457、宝島社、2016年
田中英道『聖徳太子 本当は何がすごいのか』育鵬社、2017年
『聖徳太子1400年遠忌 たずねる・わかる聖徳太子』淡交社、2020年

古代史や宗教を考えるときに、深層心理学的な視点が有益で欠かせない。
カール・ケレーニイ、カール・グスタフ・ユング『神話学入門』 杉浦忠夫訳、晶文全書、1975年
河合隼雄『中空構造日本の深層』 中央公論社、1982年
河合隼雄、湯浅泰雄、吉田敦彦『日本神話の思想 スサノヲ論』 ミネルバ書房、1983年
林道義『ユング心理学と日本神話』 名著刊行会、1990年
河合隼雄『ユング心理学と仏教』 岩波書店、1995年

2022.04.01

 

 

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