作美アート 2-2
[ 作品 2-2 ]

心の進化と退化
10段階論

「心の世界」の多様性(ダイバーシティ)

人類は長い目で見ると進化をしてきた。しかし、現代において世界を見渡すと、自国中心主義の政治家が多くなり、優れた政治家がいなくなっているように思える。
過去にいた独裁的な時代遅れの政治家に似たタイプが多くなっている。

たとえば、つい最近2022年2月24日、ロシアのプーチン大統領がウクライナに侵攻してしまった。ウクライナがNATOに所属するとロシアの安全保障がおびやかされるからだという。ミサイル発射好きの北朝鮮の指導者、香港を一国一制度にして台湾を狙う中国の指導者など、他にも挙げればきりがなくなっている。

人類は進化しているのではなく退化の時代に入っているように思えないだろうか?

殺人事件のニュースなどを見ていると、「同じ人間なのに、なぜ人を殺すのだろうか?」と思い、人間の心ってわからないと思う人が多いのではないだろうか?

また、人間以外の動物は自殺をすることはほとんどないが、「なぜ人間は自殺をしてしまうのだろうか?」と思うことはないだろうか?

いろいろな人々と出会うと、「人間って、なかなか一筋縄では理解できないなー」と思うことがないだろうか?

この現実の世界には実にいろいろな人間が生きていて、DNA(遺伝子)が異なり身体が違うだけではなく、脳や精神の状態、つまり「心の世界」も異なっている。

悪い人間もいれば、善い人間もいる。心の狭い人もいれば、心の広い人もいる。心を病む人間もいれば、病まない人間もいる。

人間は同じ地球上に生きてはいるものの、一人ひとりが別々の「心の世界」を生きていて多様性(ダイバーシティ)がある。この多様な人間の心を深層心理学と宗教から理解して、心がスッキリして、楽に楽しく生きることはできないのであろうか?

さまざまな疑問をもち、長年模索を続けてきたが、今までに出会ったダーウィン(1809~1882)の進化論、精神分析家フロイト(1856~1929)の性的発達の6段階説(口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、思春期、成人期・性器期)、それを発展させたエリクソン(1902~1994)の「人間発達の8段階(ライフサイクル)論」だけではなく、深層心理学者ユング(1875~1961)の分析心理学、アドラー(1870~1937)の個人心理学、フランクル(1905~1997)のロゴセラピーなどは、疑問を解くために有益であった。

それと、仏教の「十界論」「唯識」、真言密教の空海の「十住心論」、禅の悟りにいたるまでを表わした「十牛図」、『法華経』、『聖書』、神道の教えなどをヒントにして、自分なりに現実に生きている人々を観察し人間分析をして、仮説「心の進化と退化10段階論」をつくることができた。

人間の心は第1段階から順に上がるだけではなく、各段階のどれかに固定するものでもない。上位から下がり退化する場合もある。一般的に自我や自分の欲望にとらわれて行動すると退化しやすく、自我や自分の欲望にとらわれずに人々、社会のためになる生き方ができると進化して高い段階になる。

現代の世界の政治的な指導者でも必ずしも高い段階あるとは言えず、退化して低い段階になっている指導者が多くなっているのは残念である。進化し続けるためには自我や自分の欲にとらわれない考え方、意思が大切になる。
そのためにも「大乗アート」の各作品、特に「和の精神(Wa Spirits)21)」などが役立つであろう。

自分と性格や価値観などの違う人間や相性が悪くてイヤだなと思える人と出会っても、相手が「心の進化と退化10段階論」のどの段階にあるかを判断できると、気を楽にして接することができるようになるであろう。それだけではなく、自分の心の状態をできるだけ上位にして生きるようにすると、心が楽になり、心の悩みを解決して心の病を治すことができる。

この10段階論を自らの「心のナビゲーション」に役立てていただければ幸いである。

第1段階 自分のためだけに生きていて、暴力をふるい動物や人を殺す。<殺>

人間の原始的な心の段階である。古代では生存競争を生き抜くために、現代より激しい殺し合いが行われていた可能性がある。フロイトのいうタナトス、つまり攻撃的な「死の本能」を他者に向けて暴力的な行為をしてしまう段階で、現代では許されないが、ある意味では状況次第で誰でもが、この段階に下がる可能性がある。

愛に恵まれず社会生活がうまくいかずに生きていると、愛とはアンビバレントな(相反する)憎しみの感情が生じて、親や社会に怨(うら)みをいだきやすい。自分の不幸は親や教師、社会が悪いからであると、責任を他に転嫁してしまう。
愛を求めていて、自分だけよければいいという利己主義者、自分中心主義者になっている。
心の傷(トラウマ)、劣等感にとらわれていて自己愛が強く、反社会的願望をもつようになる。

愛が不足しているので、性を含む「生の本能(エロス)」より攻撃的な「死の本能(タナトス)」が意識にのぼり、暴力をふるい殺人などの反社会的な行為をする。ネコや犬などの動物を必要もないのに殺して快感を得たり、「誰でもよいから人を殺してみたい」などと思って、実行をしてしまうなど「心の病」になっている。

自分に都合の悪い人間、国民を殺したり、テロや戦争をする指導者や独裁者などの心の状態も、この段階に属し退化してきているといえる。
ロシア、ミャンマー、アフガニスタン、北朝鮮、中国、他など、多くなってきている。

第2段階 自分のことしか考えられなくなり、自傷行為や自殺をする。<自殺>

フロイトのいう性を含む「生の本能(エロス)」が弱くなり、「タナトス」つまり攻撃的な「死の本能」を自分に向けて自傷行為や自殺をしてしまう段階である。

いじめられたり失敗をしたりして自分の欲望が満たされずに、自分のことだけに気をとられて狭い心になっている。自信がなくなり自分の未来に希望が持てず不安をいだき、絶望をしてしまっている心の状態である。「心の傷(トラウマ)」や劣等感にとらわれて自己愛が強くなり、他者、社会に対する関心がなく自分中心主義になっている。

進化して上位の段階にいると思われた人でも、この段階に退行あるいは退化することがある。

第3段階 自分の欲望を満たすために、他者に害を及ぼしたり犯罪をする。<犯罪>

自分のためだけに生きていて、自分さえよければいいという利己主義的な心の状態である。自分の欲望を満たすために人をだましたり犯罪をして、他者に迷惑をかける。自己愛が強く、他者に愛を注ぐことができない。

自分が面白いと思ったこと以外には関心をもたず、自分の世界にこもっている。トラウマにとらわれていて、劣等感が強く、人間に不信感をいだいている。性的な衝動、欲望をみたすために性的な犯罪やストーカーなどをすることがある。「心の病」にかかっているといえる。

第4段階 自分のためだけに生きていて、社会のことには無関心である。<無関心>

自己愛が強く、自分以外の人間、社会などへの関心がない。自己中心的であるので自分の考えが絶対的に正しいと思い、周りの人と対立をする。他者に貢献をすると損をすると思っていて、貢献しようとは思わない。

トラウマにとらわれていて、劣等感が強い。自閉症の人など、この段階の人が現在の日本では多くなっているように思われる。
人間は自分だけでは生きられない。社会つまりアドラーがいう「共同体意識」が必要である。「共同体意識」の欠如から「心の病」になることが多い。共同体、社会、人々に貢献できるようになると「心の病」が治ることが多い。

第5段階 自分のために生きているが、人に優しくできる。<優しさ>

「人は人、自分は自分」と考えて生きてはいるが、自分のできる範囲で人に少し優しくでき、他者には迷惑をかけないように生きている。人間、社会に対する関心が弱く、積極的には貢献しない。現代の平均的な人間の心の状態であるといえる。

人間は社会の中で生きていることを理解しているが、「自分のための人生」と思って生きている。自分に都合の悪いことが生じたときには「心の病」になりやすい。あるいは「心の病」にかかっている人もいる。

第6段階 自分のためだけではなく、人の役に立つことができる。<親切>

自分の幸せを求めて生きているが、自分に関係する回りの人に優しくでき、必要に応じて親切にする。人間は社会の中で生きていることを理解しているが、積極的には貢献しない。第5段階とともに、現代の平均的な人間の心の状態であるといえる。

人々、社会に貢献すると、心の中に充実感、安らぎが生じて「心の病」になりにくくなる。あるいは「心の病」が治ることもある。

第7段階 人間の社会に関心をもち、他者に愛を与えられる。<愛、声聞>

自分だけで生きているのではなく、人間は社会という共同体の中で生きていることを感じている。人に愛を与えることができる。この段階の愛はエロスであるとともに、慈悲、アガペー(無私の愛)である。

自分のできることや仕事、ボランティアなどを通して社会に貢献をしようとしている。最近はボランティアをする若者が多くなっているが、大変にいいことである。
「社会に役立つことができた、社会に役立つ人間になれた」ということは、心の中に喜び、充実感、自信などをもたらして、不安や悩みを取り除く効果がある。第1~6段階の人が、この段階に入ると「心の病」が治る可能性が高まる。

なお、声聞(しょうもん)とは仏教の言葉で、よい教えを聞いて実行する人のことである。

第8段階 自分の社会的責任を広くはたし、人々に愛を与えて生きている。<縁覚>

見知らぬ人にも慈悲、愛(アガペー)を与える喜びを知り、積極的に社会に貢献をしている。仕事もお金を儲けるためだけではなく、社会に貢献するためにしている。

自分だけではなく他者を含めた人間の生命の尊さ、価値がわかる。人に慈悲、愛(アガペー)を与えることができるので、男女、夫婦などにかぎらず人間関係がうまくいく。他者と共に生きて、「共生」することができる。

なお、縁覚(えんがく)とは仏教の言葉で、何らかの縁で真理に目覚めた人のことである。

第9段階 自分の使命を発見、自覚して、人々、社会のために生きている。<菩薩>

人間は自分一人で生きているのではなく、社会の中で「生かされて生きている」ことがわかる。自分の使命に打ち込んで生きていて、人々、社会に積極的に貢献、奉仕をして慈悲、愛(アガペー)を与え続けている。生きる喜びと生命の尊さを感じているので、心は病まない。

自分のアイデンティティを発見して菩薩の心で生きている段階といえる。

第10段階 無我、無心で人々、社会、国、世界のために生きている。<神仏>

個人としての欲望がなく、「無我、無心、生死なし」の心の状態であり、すべての人々に慈悲、アガペー(無私の愛)をたえず与えようとして生きている。聖人、君子、仏、神の心の段階といえる。

「人は人、自分は自分」という心の分け隔てがなくなり、人類に共通の大きな普遍的無意識を感じ、それぞれの人が大きな生命(エネルギー)の分身として生きているという心に達している。自分の生命、心は自分のものではなく、他者も同じ生命、普遍的無意識があり生きていると思うことができる。
仏教でいう「悟り」の状態である。「ホンモノの宗教」がめざしている境地、「ホンモノの宗教者」の心の状態でもある。現在、未来ともに多くの人が、この段階にいたることが望まれる。

生の本能(エロス)と死の本能(タナトス)が「アガペー(無私の愛)」(キリスト教)、「慈悲」(仏教)の行動に昇華されている。生も死も大きな生命(エネルギー)の流れの現象であることを知り、生きているときはひたすら生きて、死ぬときは死を恐れることもなく平然と迎えられる。
死とは無になることではなく、「空(くう)」つまり大きなエネルギーの宇宙、「大生命」、仏、神の中に戻ることであるからである。

 

現在と未来の日本や世界を考えたとき、解決すべき課題、問題が多いので、第7~10段階の人材が多数出現することが望まれる。

日本では知られていないが、各国の人々に貢献して菩薩のように活躍している日本人が出てきている。日本国内だけでも、海外でも、さらに多くなることが望まれる。

たとえば、最近ではアフガニスタンで用水路をつくり続けて砂漠を緑の大地によみがえらせ65万人の暮らしをささえていたが、2019年に何者かに銃撃されて亡くなった医師の中村哲さんなどは菩薩であったといえる。
つまり、本仮説の第9段階であった。いや第10段階の人であったかもしれない。

しかし、アフガニスタンは2021年8月15日タリバンによって征服、支配されてしまった。アメリカ軍が撤退したためでもあるが、アフガニスタン人自身の独立の気概や戦う意欲が弱かったからともいえる。
アフガニスタンにおいて本仮説の第1段階の退行、退化の現象がタリバン政権により多く起こることも考えられて、大変に心配な状況にある。

また、冒頭にあげたように、ロシアのプーチン大統領をはじめ、ミャンマーの軍事政権、中国が香港を一国一制度にして台湾をねらっていたり、ミサイル好きの北朝鮮の指導者など、独裁的な政治をする国は他にも多くなっていて、疑問を感じさせる政治指導者が多くなっていることは、たびたび指摘した。

本仮説の第1段階の現象が多くならないか、懸念される。
人類が退化するのではなく、進化し続けられることを祈りたい。

2022.04.01

 

 

 

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